大正時代 ミヅホ麦摺機の広告郵便
2007年 12月 15日
麦が米の裏作として作られていたのは、そう遠い昔の話ではありません。
下の画像は、昭和の初めの頃、麦をハデ(稲架)に干している光景です。
☆祖父の古いネガフィルムより(その6)
「麦打ち歌・・・・扱き落とした麦の穂を庭いっぱいに敷きつめた筵の上にひろげ、それをブリ(クルリ棒ともいう)でたたく作業の歌。のどかに聞こえる歌であるが、作業は単調で相当にきつかった。」(加計町史民俗編より引用)
この相当にきつい作業を軽減するために、この「ミヅホ麦摺機」は開発されたのでしょう。
麦の穂を上函に投入したのち上函を動かし、上函と台座の摩擦で摺るしくみのようです。
広告によれば、「作業頗る軽便にして一時間に三石(450kg)以上を摺ることを得」とあります。
下の画像は、昭和の初めの頃、麦をハデ(稲架)に干している光景です。
☆祖父の古いネガフィルムより(その6)
「麦打ち歌・・・・扱き落とした麦の穂を庭いっぱいに敷きつめた筵の上にひろげ、それをブリ(クルリ棒ともいう)でたたく作業の歌。のどかに聞こえる歌であるが、作業は単調で相当にきつかった。」(加計町史民俗編より引用)
この相当にきつい作業を軽減するために、この「ミヅホ麦摺機」は開発されたのでしょう。
麦の穂を上函に投入したのち上函を動かし、上函と台座の摩擦で摺るしくみのようです。
広告によれば、「作業頗る軽便にして一時間に三石(450kg)以上を摺ることを得」とあります。
by sakuraotosyo
| 2007-12-15 21:32
| 大正レトロ